2012年、新潟で開催された「大地の芸術祭」では、里山や学校などのなかに現代アートが点在し、おもしろい作品にたくさん出会うことができました。
なかでもいちばん印象的だったのは、「在るべき場所」という作品です。この作品は「観た」というより「体感した」という言葉のほうが適切なんです。
作品だけが作品ではない
山の中腹に田んぼが広がり、収穫前の黄金色の稲が生い茂っている。それらの間に各地の方角と距離を示した標識が立ち並んでいる。ただそれだけである、かのように見える。
でも、この作品はそれだけではないんです。
その場で感じられる山の澄んだ空気と心和む風景、まぶしくて温かい日差し、あぜ道のごつごつした感触、虫たちの鳴き声、やわらかな風、風になびく稲穂の音やその香り。
それらの重なりのなかに、通常そこには在り得ない、非日常的な作品によるユーモアが加わる。
標識だけが作品なのではなく、その時、その場で感じられるすべてが作品を構成している。
「その時、その場だけ」のアート
視覚、聴覚、嗅覚、触覚からの感覚がすべて重なり合って、まるでいろんな楽器を組み合わせたオーケストラのようなハーモニーを生み出している。
指揮者はこの自然そのものであって、「在るべき場所」の作者は、このオーケストラにゲストとして参加させてもらっているだけである。
この感覚は写真や言葉だけでは伝わらない。美術館で絵を眺めるのとも違う。その時、その場でなければ体感できない。
すぐれた芸術は本能に直接届く
なぜだかわからないけれど、その場にいるとものすごくうれしくなってしまった。理屈や意識ではなく、本能が無意識のうちに反応しているようだった。
本当にすぐれた芸術には、理屈抜きで身体が反応してしまう。
以前コンサートで聴いたネマニャ・ラドゥロヴィチのヴァイオリンにしても、なぜだかわからないけれど聴いていると涙が出てきた。
彼は理屈や意識といった外側の覆いをすべて通り抜けて、精神の深いところに直接届くような音を出す。
すぐれた芸術というのは、生物の本能・無意識の奥深いところに直接働きかける力がある。芸術の持つ力のすさまじさを体感できた経験だった。
チャルダッシュ/by ネマニャ・ラドゥロヴィチ