今回は「13歳からのアート思考」を元に、アートの見方について書いていきます。
目次
《緑の筋のあるマティス夫人の肖像:マティス》
【投げかけられた問い】
目に写るままの色でなくとも良いのではないか?
それまでは現実により近いほど優れた芸術だと考えられていた。しかし、カメラが登場したことで写真に勝る絵を描くことはできなくなった。
そんな中、カメラと同じように現実をそのまま写す必要があるのか?という疑問から作品が作られています。
「絵画とは現実をそのまま写すものだ」という、それまでの固定観念を打ち壊した作品ですね。
《アヴィニョンの娘たち:ピカソ》
【投げかけられた問い】
絵は一つの視点からだけ描かなければいけないのか?それがほんとうにリアルなのか?
たとえばサイコロを描くとき、見たままを遠近法で描いたら全ての面を同時に描くことはできません。それではサイコロをリアルに描いたことにはならないのです。
しかし、複数の角度から見た面を同時に描けば、それはただ一方向から見たものよりリアルに近づくと考えたのです。
それが、人の体を複数の視点から眺め、それを再構成して描いたアヴィニョンの娘たちです。
「絵画とは一つの視点から描くものだ」という固定観念を打ち壊して、遠近法よりもリアルな絵に挑んだ作品ですね。
《コンポジションVII:カンディンスキー》
【投げかけられた問い】
絵は具体的な何かを描かなければいけないのか?
カンディンスキーは具体的な形のある物体ではなく「音楽」を絵にしています。
「絵画とは具体的なものを描くものだ」という固定観念を壊して、「抽象画」というジャンルを打ち出したのです。
《泉:デュシャン》
【投げかけられた問い】
アートは美しくなければいけないのか?
デュシャンは展覧会でこの便器を出品しましたが、許可されませんでした。しかしその後に出品が許可されなかった作品としてこの便器を雑誌に載せ、物議を醸すことになったのです。
「アートは美しくなければならない」という固定観念を壊した、20世紀最大の衝撃作といわれる作品ですね。
《ナンバー1A:ポロック》
【投げかけられた問い】
アートとは何かのイメージを描かなければならないのか?
ポロックは床にキャンバスを置いて、絵の具を散らしました。ただ散らしただけで何かを描いたわけではありません。
それはキャンバスに散らばった絵の具以上のものではないのです。絵ではなく、絵の具なのです。
何かを描いて、何も描かない。
「アートとは何かのイメージを描いたもの」という固定観念を壊して、何も描かないことを描いた作品ですね。
《ブリロ・ボックス:ウォーホル》
【投げかけられた問い】
アートとアートでないものに境目があるのか?
ウォーホルはブリロという洗濯洗剤の文字を大量の箱に印刷し、展覧会に出しました。
これまでのアートは全て一点ものでした。作者が作った世界でただ一つのものだからこそ価値が高かったのです。
大量生産され、しかも市販されているものはアートではないと考えられる中で、日用品とも呼べるものを箱に大量印刷して「これがアートだ」と言って出したんです。
同じくウォーホルが作ったキャンベルのスープ缶も一緒です。
「アートとアートではないものには境目がある」という固定観念を壊したのです。
大量生産され市販され日常で利用されるようなものでもアートと捉えることができるとして、アートとアートでないものに境目はないと打ち出した作品ですね。
これはアートなのか?
ここで紹介した作品はすべて、その時代、その場所においての固定観念に挑みました。そして反発を招いて「これはアートなのか?」と疑問を投げかけられながら、次第に受け入れられていったのです。
「当たり前」や「常識」というのは、その時代、その場所によって変わるものです。
今まで「当たり前」だと思っていたものを、「それが絶対ではないんじゃない?」と疑うことがビジネスでも面白い価値を作るヒントになりますね。