「他人の枠」にはまらない/季節は4つで虹は7色?

私たちは気づかないうちに「他人の枠組み」でものを見て、そして考えています。

普段は意識することはないですが、あえて意識することで他人の枠組みから自由になってこの世界の本当の姿が見えやすくなるでしょう。

季節は本当に4つ?

私たちは当たり前のように1年に季節は4つだと考えています。しかし、本当に4つでしょうか?

よく考えてみると、自然のなかに「春」という明確な区切りが存在しているわけではありません。梅や桜が咲き、寒さが和らぎ、木々が芽吹く頃を春と呼んでいるだけのことです。

夏や秋冬にしても、私たちがそう呼んでいるから、そういうものがあるように見えるのです。

実際には4つの明確な区別があるわけではなく、季節が4つである必要はないわけです。現に、ニューギニアの一部では1年は9季+空白期間であり、ジャワでは12季あるとされています。

さらに、ニューギニアには暦自体を持たない人たちもいるのです。

虹は本当に7色?

また虹の色にしても文化によっていくつあるかが違います。日本、中国、フランスなどは7色、ドイツは5色、リベリアの一部は2色、アフリカでは8色と答える人もいます。

実際にはそれぞれの色が明確に分かれているわけではなく、色の呼び名を多く持っているほど多く分けられるのです。

つまり、世界が先にあってそこに適切な言葉が張り付いているのではなく、言葉が先にあって私たちの世界の見方を決めているということです。

言葉というのは世界を区切る機能があり、言葉を使って考えると世界がその言葉の通りに分けられているかのように見えるのです。

あなたは文系・理系?

たとえば、大人と子ども、文系と理系、草食系、女子力などの言葉があると、本当にそういうものがこの世に存在するかのように見えてしまいます。

しかし、存在するから言葉があるのではなく、言葉があるから存在するように見える、というのが実態です。

実際には大人と子どもに世界共通の明確な境界線はなく、文系と理系といった分け方も世界共通ではありません。

大人と子ども、文系理系といった境界線は世界中どこにでも存在しているのではありません。

そういった言葉を持っている人、そのような枠組みを無批判に受け入れている人の頭の中にだけ存在しているのです。

いわば、それは世界のありのままの姿ではなく「架空の世界」に過ぎません。

草食系や女子力といった言葉は最近まで存在しなかった言葉であり、それらの言葉が意味している人や性質が存在しなかったわけではありません。

言葉ができることによって、それが存在するかのように見えてきただけのです。

他人の枠を外すと世界が見える

季節、虹の色、大人と子ども、文系理系、草食系、女子力などは、言葉を変えれば違った分類が可能です。つまり、言葉を変えれば、あるいは言葉を外せば、違った世界が見えるのです。

物事の分類の仕方、枠の作り方に絶対的に正しい唯一の方法はありません。自分でいくらでも変えることができるのです。

他人が作った言葉の枠に自分をはめて、いつも他人と同じ視点で世界を見る必要はないわけです。

自分は文系だから・・、女子力を磨いて・・など、他人が作った言葉の狭い枠の中に自分を押し込めず、枠にはまらない自分らしさを大切にしていきたいですね。

言葉の枠を外してみると世界はもっと違っていることに気づくはずです。

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