人は多かれ少なかれ文化というフィルターを通して物事を見ています。「菊と刀」という本のなかでは、日本文化は「恥の文化」であると指摘されます。
自分の基準で自分を律する欧米の「罪の文化」とは対照的で、他者の基準で自分を律するのが「恥の文化」の特徴です。
つまり、自らの行動を決める基準は他人にある、ということです。
善悪の基準は「みんな」の行動
これは、恥を嫌い切腹を選んだ武士道や、捕虜になることを恥として自決を強制した日本軍にも当てはまります。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのも、基準を「みんな」に置く日本文化を表していますね。
そして、ベストセラー本でも、映画でも、芸術でも、「みんな」が良いと言っている、という、他人の評価が好まれる傾向がありますね。
精神的に自立して自分で価値判断できる人も中にはいますが、日本の場合、欧米に比べたら少数派であるというのが実情です。
これも文化の力なのです。
ランキングや口コミを好む、行列に並ぶ、といった行動も他人の評価に価値を置く傾向の表れです。
多少ならいいものの、これをあまりやり過ぎると自分が不在になってしまいます。
「カオナシ」には自分が不在
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」という映画で、カオナシというキャラクターをご存知の方も多いでしょう。
カオナシは臆病で、自己主張が苦手で、他人の口、身体を借りることでしか自信を持って行動することができません。
そこにカオ(自分)はないのです。
しかし一度他人を自分の中に取り込めば、溢れるほどの自信とパワーを手に入れます。
これと似たような人はいないでしょうか?
自分に自信がなく自分で物事を判断することは苦手だけれど、他人の評価、みんなと一緒なら急に自信が出た振る舞いになる。自分の意見をはっきり持たず、考え方も行動も他人を基準に決定する。
いくら自信を持って発言したところでそれが自身の価値観からの判断ではない場合、それで自分不在の空しさを消し去ることはできません。
自分を失えば他のすべてを失うのと同じなんです。
他人の価値観には従うのではなく、常に自分自身の価値観を大切にしていきたいですね。